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富士見公園の忍塚と無縁塔

横須賀市富士見町1丁目と2丁目の谷戸を隔てる尾根道の途中に富士見公園があります。この公園の一角の木立の中に数個の墓碑石群が安置されているところがあります。この敷地にはかつて無縁仏が祀られていました。無縁仏とはお葬式や供養をする親族や縁者がいない故人やお墓のことです。

では、なぜ横須賀という田舎町、血縁関係がしっかりしている土着の地に、無縁仏が祀られていたのでしょうか。

それは横須賀製鉄所と関連があります。横須賀製鉄所の建設が始まると、山を崩したり、土砂を運搬したりと多くの人手を必要としました。重機などのない時代、こういった重労働を海軍監獄(後の横須賀刑務所)の服役者など、いわゆる寄場人足が従事することが少なくありませんでした。工事中に不慮の事故で亡くなる作業員もいて、明治18年(1885年)に監獄墓地として、神奈川県が永島六次郎の所有する畑を買収しました。

そして、軍港として横須賀が発展する中で、明治21年(1888年)の「大滝町の大火」によって焼失した遊郭が近隣の柏木田に移転してきました。そこで働く人達が亡くなった場合も、無縁仏としてこの地に埋葬されたようです。また、関東大震災でも身寄りのない犠牲者が埋葬されました。

その後、大正3年(1914年)に神奈川県から横須賀市に所有権が移転し、昭和34年(1959年)に敷地の一部が整備され、富士見公園として開園しました。さらに、昭和60年(1985年)の大改修によって現在のようになりました。

現在の公園は、地元の有志によって定期的に清掃がなされ、地元の人々の運動、団らん、憩いの場として利用されています。忍塚と供養塔には日々お花が供えられ、毎年5月には、富士見会、光栄町内会が中心となって、柏木田町内会など地元の有志の人たちによって、慰霊祭が行われています。

横須賀を創り上げてきた先人たちへの感謝の祈りは今年で40回目を迎えました。

(参考資料「改版富士見公園の忍塚と無縁塔」「第40回富士見公園無縁墓地慰霊祭での関係者様のご挨拶」)