平成13年に発行された「追浜ふるさと写真集」(追浜地域文化振興懇話会)の写真を現在、未来(再開発)と比較しつつ、戦争に翻弄されながら発展していった追浜の歴史を振り返ります。
写真には以下のような説明が添えてあります。
『街頭デモ風景 昭和30年頃。この年の5月に特需会社富士自動車㈱が従業員3,000人の解雇を発表、このため、6月に入り人員整理反対のストライキが行われ、会社から追浜駅までの街頭デモが行われました。』
1950年に朝鮮戦争が勃発すると米軍の軍需拡大による調達基地として、旧追浜飛行場の敷地は再び接収され、富士自動車(富士モーター)が軍需工場として稼働し始めました。戦場から破損した車両が大量に持ち込まれ、工場は繁忙を極めました。いわゆる朝鮮特需景気の恩恵に追浜も浴していました。
その後、人員整理が発表され、反対デモが起こり、追浜ぎんざ会が看板を掲げ、小さな追浜の街でも大きな社会問題となりました。朝鮮戦争休戦協定の締結後の1958年に工場が閉鎖されました。
1961年、富士モーターの跡地に日産自動車追浜工場が進出し操業を開始しました。