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横須賀製鉄所物語

技術学校(黌舎)の設立

横須賀製鉄所物語<7>

横須賀製鉄所の建設に当たり、「横須賀製鉄所設立原案」が策定され、仏人技師の指導により造船事業などを実施するので、フランス語や造船に関する技術を学ぶ必要があることと、製鉄所が完成しいずれ艦船の建造や修理、そして製鉄所の経営など総てが日本人の手になるものと想定されており、設立原案の中に技術学校(黌舎)の設立が位置づけられています。

この技術学校は、わが国で初めて設立された理工科系学校であるとともに、製鉄所を日本人だけで自立させたことについても大きな意義があり、また日本の企業教育施設として人材養成に果たした役割も大きなものがあります。

黌舎は、フランスのシエルブールにある海軍造船学校をモデルとして設立され、少年士族を選抜して技士を養成する「技術伝習生」と少年職工を選抜して技手を要請する「職工伝習生」の二つのコースを設定しました。職工伝習生は午前中は工場で作業に従事し、午後からは学校において必要科目を履修しました、この生徒は身分に関係なく地元から募集が行われました。

この技術学校は、明治維新により明治新政府に引き継がれますが、明治新政府は廃校としましたが、1872年(明治5)ヴェルニーが教育施設の必要性を強調し、再び設置するよう建議し、意見が取り入れられ再開されることとなりました。

黌舎の技術伝習生の卒業生の中からは、多くの優秀な人材が育成されました。特に日本の造船技術を世界に誇れるものとしたリーダーを数多く輩出しました、これらの人の指導のもと日本は造船量が世界第一位を占めることになりました。その他教育界、法曹界、官界では海軍省、大蔵省、文部省、司法省、宮内省、外務省などに優秀な人材が登用されました。また、日本会計学の草分けとなった人、パピリオ化粧品本舗の礎を築いた人、フランス文学翻訳者第一号となった人など多彩な人材が輩出され、黌舎卒業後にフランスに留学したものも多数あり、彼らは新しい日本のエリートとして、日本近代化の大きな礎を築くこととなりました。

(元横須賀市助役 井上吉隆)