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横須賀製鉄所物語

三重津海軍所跡と横浜製鉄所

横須賀製鉄所物語<40>

2015年7月「明治日本の産業革命遺産製鉄・鉄鋼・造船・石炭産業」として23の資産が世界文化遺産として登録されました。登録された遺産は、九州を中心に山口県、東日本では静岡県韮山、岩手県釜石市までの地域に所在しています。

その中には佐賀県佐賀市の「三重津海軍所跡」が指定を受けました。海軍所跡は敷地面積3.14ヘクタールで旧佐賀藩の海軍訓練所・造船所の跡地です。現在その遺構は全て土の中に埋没していて施設を見ることはできません。指定を受けた直後にテレビが放映した時にもただ広場が広がるだけでした。しかし、その表土の下にはドライドックの遺構が残っており、舟屋を改造して海軍の訓練所にしたと言われています。佐賀藩では1853年徳川幕府の大型船建造禁止が解除されたのを受け、オランダから大型船建造のための機械を購入し、幕府の長崎海軍伝習所に藩士を派遣し、操船や造船技術の習得を図りました。しかし、大型船の建造が財政的にも技術的にも鍋島藩のみで実施することが不可能であることを知りました。

その結果について横須賀鎮守府編『横須賀造船史』元治元年紀によれば、「十一月是ヨリ先キ佐嘉藩主鍋島齋政ハ蒸気工作機械ヲ和蘭ヨリ購入シ將ニ工場ヲ封内ニ起サントス然ルニ經費巨萬ヲ要スルト主人其人ナキトノ故ヲ以テ意ト之ヲ幕府ニ献ズ幕府之ヲ受ケテ工塲ヲ江戸灣ニ起コサント(略)相州三浦郡長浦灣ヲ以テ之ニ充テ將ニ工塲設立ニ着手セントス然ルニ幕府モ亦其人ナキヲ以テ竟ニ之ヲ果サザリベキ今造船所創立事項ヲ擧ゲテ佛国公使ろせすニ委仛スルニ及ビ此月十二日ろせす自ラ其地ヲ檢セント請フ(略)横須賀ニ至リ之ヲ錘測ス本灣ハ灣形曲折海底稍稍深ク且其ノ形勝要害ハ佛国つーろん港に彷彿スル所アリトシ終ニ横須賀ヲ以テ造船所設立ノ地ニ適スト為ス」と記され、横須賀に製鉄所(造船所)の建設が計画され、日本とフランスの間で協議の結果「横須賀製鉄所設立原案」が策定され、その中で横須賀製鉄所が建設されるまでの間、艦船の修理やフランスの造船にについての研修のため、横浜製鉄所を設置することとしていたので、三重津海軍所の機械類が調査の結果大型船建造には適さず、艦船の修理を中心に利用されるべきものとされましたので、同書の慶応元年紀には横浜製鉄所に据え付けたと記されています。このようにして佐賀県の「三重津海軍所」が目指した大型船の建造は実現できず、その機械類は横須賀製鉄所の完成までの準備に利用されました。

(元横須賀市助役 井上吉隆)