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横須賀製鉄所物語

人材育成

横須賀製鉄所物語<42>

横須賀製鉄所では、社内教育施設として黌舎を設立し造船技術などに関する教育を実施し、多くの逸材を輩出しました。卒業生の中でも優秀な成績を修めたものは、フランスのシェルブールに所在するフランス海軍造船學校に留学することが出来ました。横須賀製鉄所から巣立った造船所建設のスペシャリストには辰巳一、桜井省三、山口辰弥、恒川柳作をはじめ多くの人材の名が見られます。彼等は横須賀製鉄所の建設だけではなく、国内の造船所の建設に従事し造船王国の基礎を築くとともに、日本の産業革命を蜂起させました。

この横須賀製鉄所の黌舎はどのようにして設立され、どの様な経過を辿ったのでしょうか。

1865年(慶応元年)徳川幕府はペリー来航により、安政の改革を実施し大型船建造の禁止令を廃止しました。そして、幕府自ら大型船の建造のためフランスの協力を得て横須賀に製鉄所(造船所)建設を決定し、両国で協議し「横須賀製鉄所設立原案」を策定しました。『横須賀海軍船廠史』の慶応元年紀によりますと、その五節の「内国官吏組織」の中に「造船所内に學校を興して、将来仏人に代わって造船に当たらせるために人材を育成する」と定め、これをもとに黌舎が設立されました。ところが、1868年(明治元年)には明治新政府の命令により廃止されてしまいます。しかし、横須賀製鉄所の譯官である中島才吉は黌舎を廃止することにより、造船所建設の技術伝承がされなくなる可能性があるとの危機感から、1869年(明治2年)に黌舎再建の要望書を明治新政府に提出しました。明治新政府はこの要望書を受け入れ、とりあえず民家を借り上げ黌舎が再スタートさせることとなり、人材育成も継続させることが出来ました。

こうした黌舎で育成された造船のスペシャリストの中には、造船以外の分野においても新しい西洋文化を日本に紹介しました。そして、1882年(明治15年)には黌舎の機能が工部大学校(後の東京大学工学部)に吸収合併されることとなりました。

※黌舎…横須賀製鉄所の中に設立された社内教育施設で、技術伝習・職工伝習の二コースが設定され、技術伝習生は当時の旗本等の武士の子弟が、職工伝習生は地元の農家などの子弟がそれぞれ研修生として教育を受けた。

(元横須賀市助役 井上吉隆)