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よこすか文学館

高田風人子

よこすか文学館<36>

横須賀市にゆかりのある文学者や歴史上の人物にスポットをあてて、時代背景とエピソードを交えながら彼らの文芸を紹介します。

〔横須賀生まれ横須賀育ちの俳人〕

俳人高田風人子(大正15-)は、当時の三浦郡浦賀町生まれ。逗子開成中学校、商工省東京機械技術員養成所卒業後、浦賀船渠(現住友重機械工業)に入社した昭和19年から高浜虚子主宰の俳誌『ホトトギス』に投句を始めますが、しばらくは落選が続き、初入選は昭和21年、「春めける風を額に鋲を打つ」。その後、『ホトトギス』のほか、虚子の次女星野立子主宰の『玉藻』、虚子の五女高木晴子主宰の『晴居』にも投句し、爾来、現在まで、虚子の提唱した「花鳥諷詠」を継承する俳句活動を続けています。昭和63年、『惜春』を創刊、主宰。地元を詠んだ句には、「我が町は相州浦賀時雨るる日」「横須賀の今よ昔よ春惜しむ」などがあります。

(洗足学園中学高校教諭 中島正二)