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横須賀製鉄所物語

ワシントン造船所の視察

横須賀製鉄所物語<65>

遣米使節団正使一行は批准書交換の儀式が終了し、帰国する前後の日々は日夜を問わずアメリカ側の各種の行事に引く手あまたの多忙な日程でした。そうした中かねてから日本側が希望していた、ワシントン造船所を案内するとの連絡があり、ホテルから迎えの馬車で造船所に向かいました。造船所に到着すると、銃を持った兵士が整列して迎え軍楽隊による演奏が行われ、祝砲で迎えられ造船所では最大級の来賓としての招待のもてなしでした。

所長のフランクリン・ブキャナン提督が自ら新見豊前守ら三使一行を出迎え、ブキャナン所長の案内で工場を視察することになりました。造船所内には、レンガ造りの大きな工場が10棟のほか小さな諸機械器具製造の工場が軒を連ねていました。ブキャナン所長の説明によると、造船所では鉄砲や雷管などの小道具の製造、そして、船舶用の銅や鉄の板を製作しているとのことで、実際にその製作現場を視察すると、液状になった鉄が鋳型に流し込まれると、たちまち大砲の形が完成してしまうのに目を見張りました。また、工場には今まで見たこともない巨大なスチームハンマーが設置されていて、片手で自由に動かすことが出来、鉄の棒を焼いてスチームハンマーの下に置きハンマーを打ち下ろすと、簡単に二つになり、また大きな鉄を焼いて、二つのものをつないで回しながら打ち付けると錨が完成する。正使一行は、ただただ目を見張るばかりでした。こうした近代工場を視察したことで宮永孝『万延元年遣米使節団』によれば「日本人らはその威力に感嘆し、その機械が日本にあったらどれほど国を裨益するか測り知れぬと思った(帰国後小栗は横須賀に製鉄所の設立を画策した)」と記しています。

ヴェルニー公園内の記念館に設置されている3トンスチームハンマー、0.5トンスチームハンマーは、小栗上野介一行がワシントン造船所で見たものと同種のものです。

もし小栗がワシントン造船所を視察していなければ、横須賀製鉄所の建設はもとより、日本産業の近代化・産業革命は、遙か時を超えなければ実現できなかったでしょう。

(元横須賀市助役 井上吉隆)