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横須賀製鉄所物語

建設場所の決定

横須賀製鉄所物語<74>

横須賀製鉄所の建設にあたって徳川幕府はフランスに協力を求めました。フランスは了承して事業化に向けての準備に入りました。徳川幕府は建設予定地を相州三浦郡長浦湾としていましたが、フランスのロッシュ公使が自ら予定地を視察したいと申し出ました。横須賀海軍船廠史の元治元年紀によりますと、日本側は小栗上野介、栗本瀬兵衛(栗本鋤雲)、軍艦奉行木下謹吾、浅野伊賀守等が幕府軍艦順動号に乗り長浦湾に向かいます。長浦湾ではフランス公使自らが水深を図り測量しました。その結果、湾内には浅瀬もあり建設用地には不向きだとして隣接した横須賀湾に向かいました。ここでも公使が水深を図り測量した結果長浦湾よりも水深は深く、その要害はフランスのツーロン港に類似しているとフランス側が認識し、この地が建設場所の適地として、横須賀湾が建設場所に決定しました。

一方、横須賀製鉄所の建設責任者の選定にあたってフランスでは、フランス本国と公使との協議により当時上海で砲艦の建造に従事していたフランソワ・レオンス・ヴェルニーが適任と判断しました。ヴェルニーは上海で砲艦の建造に従事していましたが、事業が終了するので、横須賀製鉄所建設を担当させることにしました。

そして、ヴェルニーが上海から来るのを待って、フランス公使と徳川幕府老中以下と製鉄所・造船所の設立について議論し「横須賀製鉄所設立原案」が策定されました。

この原案は八節からなっていて、その八節には「日本理事官ヲ仏国ニ派遣セシメ造船所ニ要スル仏国海軍ノ技士工手ヲ雇入レ及機械物品ヲ買収セスムベシ」と記されています。理事官は製鉄所建設に要する人材の確保と機械購入の重要な任務を以てフランスに派遣されることになりました。

(元横須賀市助役 井上吉隆)