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横須賀製鉄所物語

築地ホテル

横須賀製鉄所物語<90>

小栗上野介は(「蜷川新 開国の先覚者 小栗上野介」によると、「一言にしていえば、小栗は、江戸武士の本質を身につけていた人であった。井伊大老に、みいだされ、弱冠32才にして、第一次遣米使節の監査役となり万延元年正月、品川湾を出帆し、地球をひとまわりして日本に帰ってきて以来(以下略)」と記されています。

この遣米使節団の一行は、総員77名からなる大規模な使節団でした。そして、一行はアメリカの軍艦ポーハタン号によって太平洋を横断し、ハワイ、サンフランシスコ、パナマ、ボルチモア、フィラデルフィア、ニューヨーク、ワシントンとアメリカの主要都市を歴訪して、ワシントンにおいて条約の批准書交換の大役を果たすこととなりました。

そして、小栗上野介はこのアメリカ訪問で多くの事を学ぶ機会を得ました。その第一はワシントン造船所を見学し、日本の近代化には、こうした大規模な、そして多機能を有する工場の建設が必要と考えました。それが横須賀製鉄所の建設により実現しました。

そして、日本側の一行は各都市に滞在するのにアメリカ側では超一流のホテルを用意して、公式訪問や歓迎パーテーにも招かれました。小栗は今回の条約締結で、これからは多くのアメリカ要人が来日することが、目前に迫っていることを実感しました。

そうした先進国の要人が来日したときに、日本人が利用している旅篭で対応出来るかと考え、どうしてもアメリカで利用した超一流のホテルに負けないものを建設しなければならないと考えました。

しかし、幕府の手より建設する事は難しく、建設、運営についてはアメリカの事例のように、全て民間資本で建設され運営されているのを見てきていたので、江戸におけるホテルもこの方法で建設出来ないかと考えました。そこで小栗上野介は、日本初の株式会社兵庫商社を立ち上げますが、これは官営事業から民間企業の利用に道筋をつけたものと考えます。

(元横須賀市助役 井上吉隆)