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三笠公園 |
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横須賀市稲岡町82-19
管理棟 046-824-6291
記念艦 046-822-5225 |
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三笠公園は、水と光と音をテーマにした公園です。「日本の都市公園100選」にも選ばれ、草花や樹木に囲まれた横須賀市民のオアシスです。公園内には、日露戦争の日本海海戦で、バルチック艦隊を迎撃したことで知られる戦艦三笠が保存され、記念艦三笠として、復元された艦内には、東郷平八郎司令長官室や海軍の関係資料が展示されています。
東郷平八郎は、「日本海海戦での勝利は、横須賀製鉄所(造船所) で十分な補給と整備を受けることができたからです」と、罪なくして斬られた小栗上野介忠順の遺族に対して、故人の功績を称え、感謝の言葉を残しています。 |
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【第80号 2008年11月号】 |
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旧小柴貯油施設 |
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長浜野口記念公園と柴シーサイドファームの間に位置し、自然が残る約53ヘクタール(横浜スタジアム20個分)の広さがある「旧小柴貯油施設」が米軍から国に返還されました。横浜市は、「150周年の森」として、「広場」「緑の保全・再生空間」「地球環境」の三つのゾーンに分け整備する「跡地利用基本計画」をまとめました。市民の意見に基づいて、計画が実行されます。
計画によると、2009年に市民による植樹イベントを行い、芝生広場や水辺空間などを生かした多目的な空間づくりを進め、約300種の植物やヘイケボタルが生息する緑豊かな森をはじめとする周辺の環境に配慮すると同時に、太陽光などの自然エネルギーを積極的に導入して、自然に親しむ生活や学習が体験できる施設を整備するようです。現在、敷地内で採取した土壌や地下水のデータを分析する環境調査を行っていて、最終段階を迎えています。 |
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【第79号 2008年10月号】 |
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貝山緑地 |
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貝山緑地は、かつて大正から昭和にかけて、我が国の軍事拠点の中心として、周辺に建設された追浜飛行場や海軍工廠などとともに、重要な役割を担っていました。工業地帯となった現在では、終戦後に建てられた記念碑や地下壕の存在などから、軍関係の史跡であったことがわかります。プードルのような形をした貝山緑地は、ちょうど尻尾の部分が入口です。あんずの里に市民の寄付によって植樹されたみんなのあんずを使って、特産品をつくる計画があります。 |
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【第78号 2008年9月号】 |
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観音崎公園 |
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観音崎公園は、三浦半島の東海岸に位置し、横須賀製鉄所の初代所長フランソワ・レオンス・ヴェルニーの設計による、日本で最初の洋式灯台「観音埼灯台」を中心に、変化に富んだ自然美あふれる岩場と砂浜と森が点在し、磯遊び・海水浴・釣り・ハイキングなどを思う存分満喫することができます。観音埼灯台の起工日(明治元年)にちなんで、11月1日は灯台記念日となりました。 |
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【第68号 2007年11月号】 |
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長浜野口記念公園 |
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明治12(1879)年、伝染病の流行地から来航する船舶の消毒や患者の隔離を行う目的で、三浦郡長浦に「長浦消毒所」が設立され、横浜の検疫が始まりました。その後、明治28(1895)年、金沢村大字柴に移転され、「長浜検疫所」となりました。黄熱病の研究などに生涯を捧げた野口英世が、22歳の頃、この長浜で検疫医官補として約5か月間勤務し、横浜港に入港しようとした「亜米利加丸」の乗員からペスト患者を発見し、ペスト菌の日本上陸を水際でくいとめることに成功しました。この功績が認められ、活躍の場を海外へ広げていきました。
長浜野口記念公園に現存する建物「旧細菌検査室」は、長浜検疫所の施設として建設されましたが、関東大震災で倒壊し、翌年に再建されたあと、昭和30年頃にその役目を終え、長い間放置されていました。その後、18年間に及ぶ熱意ある保存運動が実を結び、大規模な改修工事のあと、平成9年から、多目的ホールとともに一般に公開されるようになりました。また、隣接する池には、多くの鳥が飛来し、バードウォッチングをすることができます。 |
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【第66号 2007年9月号】 |
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ヴェルニー公園 |
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「a blue rose」には、「不可能、ありえない相談」という意味があります。人々を魅了してきた薔薇は、交配による品種改良によって、25,000種以上が作られてきましたが、薔薇自体にデルフィニジンという青系色素がないため、青い薔薇は存在せず、「不可能」の代名詞とされてきました。しかし、長年の研究と最先端のバイオテクノロジーによって、青い花びらを持つ薔薇が誕生しました。
江戸時代にペリーが来航して以降、開国を余儀なくされた日本国内では、にわかに海防論が巻き起こり、江戸幕府は、先進国の技術を積極的に取り入れるようになりました。海防の要となる船を、手っ取り早く諸外国から購入するか、または、造船所を建設しそこで造船するかで、幕府内で議論がされる中、たった一人、小栗上野介忠順は、洋式造船所の建設を主張して譲りませんでした。小栗が思い描いていたのは、船だけを造る造船所ではなく、日本の近代化に必要なものすべてを創ることができる製鉄所でした。
1865年、徳川幕府の最後の威信をかけて、フランス人の技術者フランソワ・レオンス・ヴェルニーを雇い、建設が始まりました。その後、明治政府に引き継がれ、1871年、日本の近代工業のさきがけとなる横須賀製鉄所が誕生しました。
小栗とヴェルニーの2人の功績を称えたヴェルニー公園の薔薇が見ごろを迎えています。ヴェルニー・小栗祭は、秋の薔薇が見ごろを迎える11月に開催されます。 |
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【第63号 2007年6月号】 |
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吉倉公園 |
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或(ある)曇った冬の日暮である。私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下して、ぼんやり発車の笛を待っていた。
(中略)
するとその瞬間である。窓から半身を乗り出していた例の娘が、あの霜焼けの手をつとにのばして勢いよく左右に振ったと思うと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まっている蜜柑(みかん)が凡そ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらばらと空から降って来た。私は思はず息を呑んだ。そうして刹那に一切を了解した。小娘は、恐らくはこれから奉公先へ赴こうとしている小娘は、その懐に蔵していた幾顆(いくか)の蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切りまで見送りに来た弟たちの労に報いたのである。
(芥川龍之介「蜜柑」より抜粋)
小説「蜜柑」は、芥川龍之介が横須賀海軍機関学校の英語の教官時代、下宿(鎌倉)に帰る途中の横須賀線の汽車の中で「私が出遭った事」を描いたとされています。
JR横須賀駅から東京方面に向う最初のトンネルを通過したところにある吉倉公園には、小説「蜜柑」の一節を刻んだ文学碑があります。弟たちが姉を見送ったとされる踏切は、さらにトンネルをひとつ通過した、当時踏切番がいた「田ノ浦の踏切」ではないかと言われています。 |
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【第62号 2007年5月号】 |
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三浦半島の花暦 |
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三方を青い海に囲まれ、一年を通して比較的温暖な地域である三浦半島は、これから色とりどりの花が咲き誇る心地よい季節となります。市制100周年を迎えた横須賀市のさまざまなイベントとスケジュールを合わせて、季節感のある花を堪能することができます。
今年は全体的に開花が少し早いようで、既に見ごろを過ぎたものもありますが、三浦半島周辺の花の名所をご紹介します。計算違いのないよう、ご注意ください。 |
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| ■横浜公園 (横浜市中区) |
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| チューリップ |
4月中旬 |
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| ■ヴェルニー公園 (汐入) |
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| バラ |
5月中旬〜6月中旬 |
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| ■横須賀市立しょうぶ園 |
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| 花菖蒲 |
5月下旬〜6月下旬 |
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| ■くりはま花の国 (久里浜) |
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| コスモス |
9月上旬〜10月中旬 |
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【第61号 2007年4月号】 |
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三溪園 |
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生糸貿易により財を成した実業家・原三溪が、東京湾を望む横浜の東南部・本牧に広がる広大な土地を1902(明治35)年から造成し、1908(明治41)年に外苑、1923(大正12)年に内苑を完成させ、自らの名前を取って三溪園と名付けました。1906(明治39)年5月1日から一般に公開されました。
175,000uに及ぶ園内には、京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。現在は、重要文化財が10棟、横浜市指定有形文化財が3棟あります。また、園内には、年間を通じて様々な花が咲き誇り、散策をしながら観賞することができます。
今年は開園100周年記念事業として、様々な催しが開催されています。 |
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【第55号 2006年10月号】 |
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八景島 |
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八景島は、1980年に横浜市が造成工事を行い、約5年の歳月をかけて完成させた人工島で、横浜市が管理する公園です。高台にある「丘の広場」は、季節ごとにさまざまな花が咲き誇る洋式庭園で、東京湾を行き交う船や富士山をゆったりと眺めることができます。総面積は約24万uで、その約1/3の土地を利用して、1993年5月8日に、横浜・八景島シーパラダイスがオープンしました。 |
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【第53号 2006年8月号】 |
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横浜関内 |
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2009年に横浜市は開港150周年を迎えます。関内地区には、その開港当時から横浜を見つめ続けた歴史的建造物、神奈川県庁本庁舎、横浜税関、横浜市開港記念会館、赤レンガ倉庫、県立歴史博物館などが建ち並んでいます。また、みなとみらい地区には、モダンなデザインの高層建築物、横浜ランドマークタワー、クイーンズスクエア、パシフィコ横浜などが建ち並んでいます。これら新旧の建物が調和した、歴史を活かした「まちづくり」が横浜の魅力です。
神奈川県庁本庁舎、横浜税関、横浜市開港記念会館は、それぞれ、キング、クイーン、ジャックと呼ばれています。その佇まいは、1970〜80年代のロックバンドのアルバムジャケットのようです。特に、横浜税関はクイーンではなくイーグルスといったところです。 |
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【第51号 2006年6月号】 |
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海の公園 |
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「海の公園」は、横浜市内で唯一海水浴場のある公園です。金沢地先埋め立て事業の一環として整備されました。以前は、乙舳(おっとも)海岸と呼ばれていた海岸の波、潮流、風、生き物の生態などを詳細に調査して、海と馴染んで安定するように、人工的に設計された海岸です。公園部分の埋め立てには、能見台の開発で発生した土砂を使い、砂浜の埋め立てには、千葉県富津市の土砂を5年ほど海底に馴染ませたあと使っています。また、磯遊びができるように、八景島駅前の海岸には、安山岩を配しています。
当初は稚貝をまいて育てていたアサリ、マテガイ、シオフキ、カガミガイなども、自然に繁殖するようになりました。首都圏近郊から来園する人は勿論のこと、住みついた貝さえも、ここが人工の海岸であることを忘れてしまうくらい、自然に馴染んでいます。毎年、潮干狩りで賑わうゴールデンウィークが近づいています。公園を管理するスタッフは勿論のこと、周辺の生き物たちも準備を整えています。採取規制を守り、採りスギには注意しましょう。 |
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【第50号 2006年5月号】 |
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塚山公園 |
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京急安針塚駅は、軍需部前駅という軍の施設であることがあまりにも明白な駅名だったため改称されました。しかし、言い換えれば、ウイリアム・アダムズの墓(供養塔)となり、やはりチョット不気味な駅名です。
1598年、オランダ船リーフデ号で漂着した航海士を徳川家康が気に入り、三浦按針と名付け、三浦郡逸見村に250石の領地を与えました。この三浦按針が、スウィフト原作の「ガリバー旅行記」のモデルではないかと言われています。ガリバーが訪れた4つの不思議な国「リリパット(小人国)」「ブロブティンナグ(大人国)」「ラピュータ(空飛ぶ島)」「フウイヌム(馬の国)」の中で、日本の「ザモスキ」に上陸したという記述があります。
不思議なことに、ウイリアム・アダムズが祖国の妻に当てた書簡などが、原作者のスウィフトの家から発見されました。筆記体で書くと「Xamoschi(ザモスキ)」と「Kannonsaki(カンノンサキ)」は、なんとなく似ている気がします。また、彼は2メートルを超す身長で、かつて領地があったあたりは現在「天空の街」と言われ、さらに、日本で結婚した奥さんは、馬込勘解由(まごめかげゆ)の娘と言われています。
4月8日(土)、三浦按針祭観桜会が開催されます。 |
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【第49号 2006年4月号】 |
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鷹取山ハイキングコース |
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鷹取山は、横須賀市・横浜市・逗子市のそれぞれの市境に接したところに位置しています。京浜急行本線、京浜急行逗子線、JR横須賀線の3つの線が交差してできる外周は、ちょうど「ソフトクリーム」のような形になります。標高139mの頂上の展望台には、それぞれの最寄りの駅からアクセスすることができます。追浜や六浦方面からのハイキングコースは、周辺の宅地化が進み、住宅地を通り抜けるコースですが、田浦方面からの1コースと神武寺を経由する逗子方面からの3コースは、自然が多く残る「おいしい」ハイキングコースとなっています。晴れた暖かい日でも「溶ける」ことはありませんので、ゆっくりとした自分のペースで堪能することができます。 |
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【第37号 2005年4月号】 |
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横浜金澤七福神 |
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横浜市金沢区に「七福神」が誕生しました。七福神巡りは、江戸時代から盛んに行われてきたようです。江戸を中心に、七福神を祀る神社や寺院が建てられ、それらを正月に参拝すると、「七難即滅・七福即生」(七つの災難から逃れ、七つの福徳を授かる)のご利益があるという信仰が広まりました。その後、この風潮が全国に広まったようです。 |
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| 【横浜金澤七福神の社寺一覧】 |
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富岡八幡宮 |
蛭子尊 |
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真言宗龍華寺 |
大黒天 |
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曹洞宗傳心寺 |
毘沙門天 |
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瀬戸神社 |
弁財天 |
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臨済宗長昌寺 |
布袋尊 |
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真言宗寶蔵院 |
寿老人 |
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真言宗正法院 |
福禄寿 |
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【第36号 2005年3月号】 |
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野島 |
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野島は、かつて「百軒島」と言われ、戸数が100軒を超えると災いを招くという言い伝えがありました。これは、実際に何か不吉な事件が起きた「事実」に基づくものなのか、限りある水産資源を大切にしょうとする「戒め」によるものなのか、幕府に優遇され、住み慣れた土地に他人が入いることを拒む「独り占め」を正当化しようとするものなのか、今となってはわかりませんが、結果として、いわゆる「よそ者」を排除していた時期があったようです。
現在の野島は、法人が所有していた社員寮の跡地などに、新しいアパートや2世帯住宅などが建設され、世帯数自体は「災い転じて増えて」いるようですが、島自体はその重みからか少し沈んだ気がします。 |
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【第33号 2004年12月号】 |
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夏島 |
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夏島は、かつて海に浮かぶ孤島で、その近くには奇怪な形をした烏帽子島がありました。風光明媚な海岸線は、江戸から明治時代にかけて、観光スポットとして人気がありました。しかし、大正7年(1918年)から軍事目的で埋め立てられ、追浜飛行場や格納庫、海軍工廠などが建設され、我が国の軍事拠点の中心となりました。敗戦を迎えた昭和20年(1945年)に、連合軍に進駐され、富士自動車や日本飛行機などが進出しました。その後、昭和34年(1959年)に、政府に変換され、関東自動車、日産自動車、住友重機械工業などが、その跡地に建設され、工場地帯となり現在に至っています。高い技術力とわずかな緑の自然を受け継いだこの地域には、軍関係の史跡がひっそりと点在しています。 |
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【第31号 2004年10月号】 |
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猿島 |
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猿島は、東京湾に浮かぶ唯一の自然島です。かつて、この猿島周辺には、笠島、平島、蛸貝島など、全部で10の島々が点在していたので、十島(としま)と名付けられ、縁起をかついで豊島(としま)と呼ばれていました。鎌倉時代に、鎌倉を目指し房総半島を出発した日蓮上人が、船旅の途中に嵐に会い、突然現れた白い猿の案内によって、この島に漂着し、その後、三浦半島(横須賀市米が浜周辺)にたどり着いたという伝説があります。この伝説は、猿島の名前の由来のひとつとされます。江戸時代には、海上防備のための砲台が設置されました。さらに、明治から昭和時代には、要塞として使用されたという歴史があります。申年の今年は、島全体を都市公園「エコミュージアム猿島」とする整備事業が、平成18年度の完成を目指し、着々と進められています。 |
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【第28号 2004年7月号】 |
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夏島貝塚通り |
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「夏島貝塚通り」は、追浜駅から商店街を抜けて夏島貝塚を通り、海洋科学技術センターまで続く通りの名前です。地元の人は、駅から商店街までを「銀座通り」と呼ぶことが多いようですが、「道路に親しみのある名前を」というコンセプトに基づき、平成7(1995)年に横須賀市が新しい愛称をつけました。この道路は、かつて海軍の航空隊があった関係で、特23号国道(軍道)として、大正14(1925)年1月に竣工されました。そのため、町の中にある道路としては、広い道路となっています。
この通り沿いには、夏島貝塚、明治憲法起草地記念碑、海軍飛行予科練習生発祥の碑、烏帽子巌の碑などの史跡がひっそりと点在しています。映画「あの夏、いちばん静かな海。」(1991年・監督北野武)の主人公(真木蔵人)がサーフボードを持って歩くシーンは、横須賀高等職業技術校の正門付近で撮影されました。 |
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【第26号 2004年5月号】 |
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鷹取川 |
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鷹取川は、鷹取山を主な水源としています。鷹取中学校付近を通り追浜南町を抜けて追浜町側の銀座通りを流れる「鷹取川(男川)」と、追浜小学校付近を通り鷹取町を抜けて追浜本町側の銀座通りを流れる「関の入川(女川)」の二つの川が、堀写真館の前あたりで合流しています。現在は、道路や商店街の下を通る暗きょとなっていて、以前のような自然の流れを確認することは難しくなりましたが、この二つの川が出会う合流地点付近には、昔の面影を残しているところがあります。かつて、この付近に「夫婦橋」という橋が架かっていました。今では日が暮れて、このあたりでばったり逢った人達が、次の店に合流しているようです。合流した男川と女川は、ひとつの川「鷹取川」となって、平潟湾を経由して、東京湾へと注いでいます。
この川は、かつて鷹取山で採石した鷹取石の運搬手段として盛んに利用されていました。ところが、関東大震災以後、川底の隆起による運搬船の航行不能、また、石に代わるセメントの普及による需要低下などの理由から採石事業が衰退し、利用されなくなり、川沿いの宅地化が進むと同時に、生活廃水などにより汚染が進み、悪臭のする汚れた川になってしまいました。その後、川沿いの下水道工事や川底の汚泥処理が進む一方で、「鷹取川ゆめプランナーの会」などが中心となって、河口近くの清掃活動や自然観察会などを開催して、河川の浄化を呼びかけました。その結果、だんだんと綺麗な流れを取り戻し、ボラなどの多くの魚や、かもめやコサギをはじめとする鳥、そのほか数多くの水辺の生き物を見かけるようになりました。さらに、天神橋付近では、4月末から5月初めにかけて、さまざまな色の何十匹もの大きなコイが、歩道橋を駆け上らんとばかりに青空を元気に泳ぐ姿を見ることができます。 |
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【第25号 2004年4月号】 |
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2月1日、みなとみらい線(MM線・4.1km)が開通し、活況を呈しています。MM線は、みなとみらい21地区への新たなアクセス路線として整備された地下鉄です。当初計画されていた、東神奈川駅でJR(当時国鉄)横浜線と接続して相互直通運転を行うプランから、起点を横浜駅に移し、東急東横線と接続して相互直通運転を行うプランに変更され、1989年3月に事業主体となる第三セクターの「横浜高速鉄道株式会社」が設立されました。その後、1992年11月に工事が着工され、12年の歳月と総事業費約2600億円をかけて整備されました。
新しい駅は、新高島、みなとみらい、馬車道、日本大通り、元町・中華街の5つで、「横浜にふさわしい個性的で、かつ洗練されたデザインであり、周辺環境と調和し、人々に親しまれ、地域の財産となる空間を実現する」という基本コンセプトから、すべて異なるデザインとなっています。ホームにあるベンチシートも独創性の高いデザインとなっています。また、すべての駅は、車椅子を利用する方や目の不自由な方にも使いやすいエレベーターをはじめ、車両とホームの段差を解消する装置や音声ガイドなどが設置されたユニバーサルデザインとなっています。新しい車両は、メタリックブルーの車体に、みなとみらいの「M」の文字が、海と躍動感のある都市をイメージしたネイビーブルーとイエローのグラデーションで描かれています。車内は、薄紫色の壁に「横浜スカーフ」をモチーフとした、船の舵などの模様が入った赤紫色のシートが配置されています。
横浜駅〜元町・中華街駅の料金は、大人200円(小児100円)ですが、周辺を散策するには、区間内の乗り降りが自由な1日乗車券大人450円(小児230円)がオススメです。 |
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【第24号 2004年3月号】 |
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鷹取山 |
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戦国時代に大田道灌が鷹狩りをしたとされる「鷹取山」は、標高139mの頂上に展望台があります。磨崖仏のある山を「前浅間」、広場のある山を「後浅間」と言い、これらの山々に囲まれた一帯を「鷹取山公園」と呼んでいます。
火に強く加工しやすいことから、建築資材として使われた「鷹取石」の採石事業は、明治20年頃から昭和20年頃まで盛んに行なわれ、追浜の経済を支え、人々と山々の表情を変えました。昭和42年から始まった西武鉄道の宅地造成工事により、「湘南鷹取」という大きな街が誕生しました。逗子や田浦に続くハイキングコースには、昔の面影が残っています。 |
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【第19号 2003年10月号】 |
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シーサイドラインは、平成元年7月5日に、京浜急行金沢八景駅とJR新杉田駅の約10.6kmの区間を結ぶ「新交通システム」として誕生しました。車両を支える車輪はゴムタイヤで電気を使い走行するため、振動や騒音が少なく、また排気ガスもでません。1区間あたり2〜3分間程度で走行し、全区間(14駅)は約25分です。車両からの眺めとその沿線に点在するさまざまな自然や、遊び・観光のスポットを楽しむことができます。 |
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【第16号 2003年7月号】 |
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金澤八景 |
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「金澤八景」とは、現在の横浜市金沢区一帯に広がった八つの景勝地の総称です。江戸時代に東海道が整備され、参勤交代や商用、参詣など様々な目的で多くの人々が行き来するようになりました。その後、庶民の旅が盛んになると、東海道の保土ヶ谷宿から金澤道を通り、武州金澤の地を訪れる旅人も多くなりました。旅人の最大の目的は、海と山とが織りなす見事な景観を鑑賞することでした。浮世絵師の歌川広重はこの地をこよなく愛し、多くの絵を残しました。眺めの良い見晴台として、能く見える「能見堂」と金澤八景を一覧できる「九覧亭」がありました。能見堂は金澤道の北の丘陵から遠目に金澤八景を見渡せる場所、また、金龍院の九覧亭は金澤八景の真ん中から間近に広がるパノラマを楽しめる場所として、人気を集め、今の観光地図やお土産にあたる版画や刷り物が売られていました。 |
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| 【金澤八景】 |
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小泉夜雨 |
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瀬戸秋月 |
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洲崎晴嵐 |
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内川暮雪 |
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称名晩鐘 |
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乙艫帰帆 |
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平潟落雁 |
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野島夕照 |
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【第4号 2002年夏号】 |
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