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横須賀製鉄所物語

長屋門

横須賀製鉄所物語<31>

横須賀製鉄所への資材の納入、海堡建設工事の請負を実施した永嶋家の長屋門が現在保存されていますが、「長屋門」とはどのようなものなのか、また市内には他にも「長屋門」が残されているのでしょうか。

『新横須賀市史』文化遺産(以下『市史』と略す)によれば「長屋門は、扉構を有する通路部分と、その両脇に建築空間を設けて物置・居室・馬屋などに用いる複合的な建築で、その名の通り、間口(桁行)が長く奥行(梁行)が短い建築である。武家屋敷の表門や農家・商家等の民家表門として建築された」としています。そして、『市史』の編纂に当たって、由緒ある「長屋門」が現存している中の四件(永島家・佐野町、鈴木家・須軽谷、柳井家・長沢、若命家・秋谷)について実測調査をしています。

それぞれの長屋門について『市史』によれば、佐野町永島家については聖徳寺坂下に所在する永嶋家長屋門が「赤門」と呼ばれているのに対して、「黒門」と呼ばれています。JR横須賀駅から衣笠・長井・三崎東岡行バスで「佐野4丁目」で下車すると、目の前の山手にあります。『市史』によりますと旧佐野村の名主を務めた旧家で、屋号をコヤトと呼ばれていました(古谷戸・山あい、からきたものとされています)。

永島家の主人は幕末時には浦賀奉行所にも勤めていたといわれ、そうした地位を表すように長屋門も幕末から明治の初期の裕福な階層の表門形式を備えていると記しています。そして、西側の物置正面には半蔀を設けている点は、街道に面した長屋門のあり型を示すものとして注目されるとも述べています。長屋門の建築された年代が明らかにされた史料が発見されていないので不明ですが、幕末以前に建築されていたことは間違いないようです。そして、この長屋門は平成16年度敷地内に施設の建設のため、長屋門を西南側に曳き家をし併せ修理することで、外観は屋根以外は建築当初の形式に復旧されることになりました。

鈴木家・柳井家の長屋門は、いずれも上層農家の表門としての姿を現していると『市史』では記しています。鈴木家は、天保以後に須軽谷村の名主を努めていて屋号を「三右衛門」と称されていたとのことです。柳井家の長屋門は、棟札によって建築年が判明した唯一のもので、文久3年に建築されたことが明らかにされているとのことです、そして、棟札には半左衛門と当主の名が記載されています。若命家の長屋門は、秋谷村の名主を務めると共に、本陣役を務めた家柄で長屋門には座敷を持つものとして注目されるものと『市史』では述べています。

このように横須賀市内には由緒ある長屋門を有する家がまだ残されていることは、長い歴史の一コマを偲ぶことにつながります。機会があればその姿を拝見することで、横須賀の歴史の一端を垣間見たいものです。

(元横須賀市助役 井上吉隆)