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横須賀製鉄所物語

建設時の時代背景

横須賀製鉄所物語<50>

横須賀製鉄所は、1865年(慶応元年)11月に徳川幕府の手により鍬入れ式が行われています。この時期の国内の情勢はどのようなものだったでしょうか。

この時期は、薩摩・長州を中心として尊王攘夷が叫ばれている時代でした。出来事としては、1864年(元治元年)に「禁門の変」が起こり、京都御所を中心に幕府・薩摩藩と長州藩の間で激しい戦いがあり、新撰組による池田屋事件もありました。1866年(慶応2年)3月に薩摩藩と長州藩の連合が成立し、討幕運動が顕在化してきました。そして、11月に坂本龍馬・中岡慎太郎の暗殺事件も起こりました。

幕府はこうした大きな社会情勢の変化を受けて、1867年(慶応3年)10月に大政奉還が行われました。しかし、討幕運動は益々激しさを増し、1868年(元治元年)1月に鳥羽・伏見で戦いが始まり、これが「戊辰戦争」と呼ばれるようになりました。西から進められた討幕運動は急速な勢いで東へと進み、4月には江戸城も開場されました。

こうした日本の政治情勢が不安定な中でも、フランス人を中心に横須賀製鉄所の建設は進められていました。しかし、討幕軍が箱根に近づくころになると徳川幕府は、製鉄所掛勘定奉行及び製鉄所奉行を通して、ヴェルニーに対し工事の一時中止の要請を行います。その内容については『横須賀造船史』明治元年紀に次のように記されています。

「(略)征東ノ官軍墍ニ函根ヲ超へテ横須賀ノ近傍二到レリ其製鐡所ヲ待ツ果シテ如何ナル處置ニ出ルヲ知ラズ故ニ暫ク工事ヲ中止シ雇佛人ハ悉皆横濱ニ退去スべシ元來本件ハ貴國全権公使ろせす氏ニ照會スベキモノナレドモ氏ハ今兵庫港ニ在ルヲ以テ直チニ貴下ニ通報ス(略)」

以上のように、討幕軍が横須賀に入ってきたときに、どのようなことが起こるのか幕府として大変危惧していたものと思われます。そこでフランスに対して工事の中止を要請したものですが、フランス側はこの工事はフランス政府として引き受けたものであり、外国の艦船の工事も実施しており、工事は中止すべきものではなく、日本人の職員は半数としフランス人は全員が勤務し、港にフランス軍の艦船を係留し、危険を察知したのであるならば、軍艦に避難するとの措置を講じることで、工事は一日も休まず続けられました。

こうして完成した横須賀製鉄所は、明治維新という大きな政治改革を超えて事業が実施されました。その完成は明治新政府にとって目玉となる新産業施設の完成であると共に、日本の産業革命への第一歩が踏み出されました。

(元横須賀市助役 井上吉隆)