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横須賀製鉄所物語

お雇い外国人③サヴァティエ①

横須賀製鉄所物語<55>

横須賀製鉄所建設のために来日したフランス人一行の名簿が『横須賀造船史』慶応2年紀10月18日に「横須賀製鉄所雇佛人明細書」慶応2年10月調査として記されています。

一番目には首長のヴェルニーの名があり、二番目にポール・アメデ・リュドヴィク・サヴァティエが年俸5,000ドルとヴェルニーに次ぐ給与で記されています。雇用年月日は慶応元年10月14日で、前歴はロシュホール造船所員海軍大毉と記されています。そして、サヴァティエの職務にいて竹中祐典『花の沫』―植物学者サヴァチエの生涯―によると「総計43名の製鉄所フランス人雇員に家族を加えれば50名を超える大人数となる。リュドヴィクの本来の職務がそれらの人々の健康管理と実地の治療であったことはいうまでもない(略)それに加えて、殆どが未成年からなる日本人行員の手指切断などの事故の処理もある。使い慣れない重機器、精密機械による怪我は後を絶たなかったといわれている。」と記されています。

こうして、横須賀製鉄所のみならず周辺住民等の医療活動に身をささげたサヴァティエに対して、明治新政府は『横須賀造船史』明治元年紀6月27日によれば「東久世中將ヲ佛國公使うーとれーニ贈ル曰ハク方今我政府ハ百事釐革費用加多ノ時ニ際スルヲ以テ宜ク目下不急ノ事業ヲ停廢シ努メテ民力ノ休養ヲ計ラザルベカラズ横須賀製鉄所ノ如キモ工業ノ隆盛ニ赴クハ大ニ悦ブベシト雖モ不必要ト認メタル費用ハ決シテ之ヲ支出スベキニ非ズ製鉄所ニ高給ノ醫官ヲ置クハ果シテ費用節減ノ旨ニ惇ルナキヲ得ル歟命ノ見ル所ヲ以テスレバ自今佛人ノ罹病者ハ舊制ノ如ク横濱佛國海軍病院ノ醫員ニ嘱托シさばちえー氏ノ雇ヲ解キテ歸國セシムノ得策タルベキヲ信ズ貴官請フ此意ヲ貴國政府ニ傳ヘテ余ノ志望ヲ果サシメヨト云々」と記され、明治新政府による経費削減を理由に問答無用で解雇申し渡しが行われました。これに対してヴェルニーは医師の常駐と横浜佛国病院の利用の比較検討をし、検討結果の答弁書を明治新政府に提出し、サヴァティエの解雇は見送られることとなりました。

(元横須賀市助役 井上吉隆)