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横須賀製鉄所物語

横須賀の水道

横須賀製鉄所物語<88>

横須賀の水道は、旧海軍、神奈川県水道の協力を得て整備され、現在のように断水に見舞われること無く安定的に水が供給されています。しかし、ここに至るまでには大きな事故に遭遇したこともありました。

それは、1828年(大正12年)9月1日午前11時58分、相模湾トラフ沿いの断層を震源とするマグニチュード7.9の関東大震災が発生したのです。その被害は当時の横須賀では、総戸数16,350戸の中、消失戸数は4,700戸、全壊家屋7,227戸、半壊家屋2,512戸に及びました。

水道においては、走水系統、半原系統の2つの水源がありましたが、いずれも送配水管が各所で折損、離脱が生じ、たちまち給水不能に陥りました。そして、ヴェルニーによって建設された走水系統については、送水管の離脱は8カ所、市内配水管の離脱は11カ所、切断または破壊が9カ所、その他全線にわたり接合部に緩みが生じました。一方、海軍水道の半原系統では、送水距離53キロメートル、送水管の口径は500ミリメートルで各所において大規模なダメージを受けました。そして、市内の水道管からは一滴の水も出なくなりましたと「水の旅」には記されています。

大震災後の調査結果から幸いなことに、市内唯一の水源であるヴェルニーによって建設された走水は、半原系に比較して被害が少なく、湧水量も平常と大して変わらないことが分かりました。しかし、送配水管が切断されたうえ、ポンプも動かず、湧水はそのまま貯水池から溢れて海へと流れ出ていました。

水道の担当職員は、この湧水を下町地区に運搬できないかと考えました。しかし、道路もトンネルも大きな被害を受けて、とても陸路で市の中心部に水道水を運搬することは出来ませんでした。 そこで、海を利用して運搬できないかとの考えが持ち上がりました。そして、海軍からカッター(大型ボート)を借り受けました。このカッターに水道水を積み込み、震災で被害を受けた小川港、安浦港の両港を仮復旧して水を待ち受けている市民に給水する案を考えました。

(元横須賀市助役 井上吉隆)