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横須賀製鉄所物語

旧海軍料亭

横須賀製鉄所物語<95>

幕末期に小栗上野介、フランスの造船技師であるフランソワ・ヴェルニーにより建設された横須賀製鉄所は、フランスのツーロンにある海軍工廠の3分の1の規模をもつ、当時アジアでは最大の海軍工廠でした。

その後、横須賀製鉄所から横須賀造船所、横須賀海軍工廠と名称が変更され、明治9年(1876年)9月には東海鎮守府が横浜から移設されました。

明治新政府は、明治22年(1889年)5月に「鎮守府条例」を施行し、第1海軍区は横須賀に、第2海軍区は呉に、第3海軍区は佐世保に、第4海軍区は舞鶴に、第5海軍区は今後決定することとして、それぞれの海軍区の整備を図りました。鎮守府の設置された街は軍港都市として発展することになりました。そうした中で海軍士官が勤務を終え、夜の休息時間を過ごすための場が求められました。横須賀市内では、その代表的な海軍料亭が「魚勝」と「小松」でした。

古い人の話では、士官が夕刻になると同僚に「今日おまえは何処だ。俺はパイン(小松)だ」、すると同僚は「俺はフィッシュ(魚勝)だ」と話すほどに、2軒の料亭は海軍料亭として名が通っていたようです。

魚勝は、現在のザ・タワー横須賀中央の千日通りに面して入り口があり、大きな木造2階建ての建築物でしたが、第二次世界大戦後間もなく廃業されました。

一方、小松は終戦後も海上自衛隊、在日米海軍にも利用されていました。木造2階建ての威容を誇る立派な建物でした。しかし、2016年5月16日の夕刻に出火原因不明の火災により全焼してしまいました。当日消火活動している現場に駆けつけ、炎に包まれ燃え上がる姿を見て、昭和の時代も終わりを告げたとの思いを胸にしました。

小松には、多くの著名な軍人の書が残されていました。東郷平八郎、米内光政、山本五十六、岡田啓介、秋山真之等など数多くの文化遺産と考えられるものが灰燼(かいじん)に帰してしまいました。

毎年5月の旧海軍記念日には、虫干しをかねて、大広間に展示されていました。旧海軍の人たちは、その書を拝見するのを楽しみにしていました。

※海軍記念日…1905年(明治38年)5月27日、日露戦争の日本海海戦において、東郷平八郎が率いる日本海軍連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を迎撃し、大勝利を収めたことを記念し制定された。(第二次世界大戦後に廃止)

(元横須賀市助役 井上吉隆)