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よこすか文学館

若山牧水の歌碑

よこすか文学館<100>

三浦半島に点在する文学碑や史的記念碑を実見し、作者やその作品の成立事情、碑の現状などについてご紹介します。

<若山牧水の歌碑(北下浦海岸遊歩道)>短歌

しら鳥はかなしからずや
そらの青海のあをにもそまずたゞよふ

海越えて鋸山はかすめども
此処の長浜浪立ちやまず

若山牧水(1885~1928)は近代短歌を代表する歌人。宮崎県に生まれ、早稲田大学高等予科入学後、本格的に作歌活動を開始しました。友人であった石川啄木の最期を看取ったことでも知られています。

牧水は、大正4年から5年にかけて、妻喜志子の療養のため、長沢に居住しました。歌碑の「海越えて」はその時期の詠。もう一方の「しら鳥は」は牧水の最も著名な歌ですが、実は早稲田大学在学中の1907年の詠で、吉海直人氏の調査によれば、初出の形は「白鳥は哀しからずや海の青そらのあをにも染まずただよふ」であり、「白鳥」に「はくてう」(はくちょう)というルビがあり、それが翌年刊行の第1歌集『海の声』では、「白鳥(しらとり)は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」と修正され、「白鳥」の読みと空と海の位置が入れ替わったということです。

(洗足学園中学高等学校教諭 中島正二)