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横須賀ストーリーズ

自然災害と防災訓練

横須賀ストーリーズ<13>

令和6年(2024)の年の初めは能登半島に起こった地震によりスタートとなりました。こうした自然災害について何処の地方公共団体でも「地域防災計画」を作成して災害が発生した時に対応しています。

さらに、市町村の間でも協定を結んで災害発生に対応するようにしています。横須賀市は静岡県沼津市との間で水道事業の相互応援協定がかなり以前に結ばれました。この協定は東海沖、神奈川県西部が災害危険区域と言われ結ばれたもので、両市の間で訓練を実施しようとの声が上がり、昭和53年に実施することになりました。

災害の被災地の静岡県知事は自衛隊の出動を要請し、沼津市から横須賀市に対して飲料水の供給について救援要請がありました。横須賀市水道局(当時)で検討した結果、陸路では困難であるとの判断から海上自衛隊に協力を求め護衛艦を利用しての給水訓練となりました。横須賀水道局では走水の水源地においてドラム缶に水を詰めて海岸に運び出し、漁船で小川町の新港埠頭に陸揚げして、待機していた給水車に移してパトカーの先導で船越の海上自衛隊の岸壁に運搬し護衛艦に積載して沼津市に向かうことになりました。私達横須賀市地域防災計画の救援物資斑(当時)のメンバーは、午後4時に本庁舎を出発して水道局職員と合流して護衛艦に乗船することになりました。

そして、午後5時に出航すると日常の生活行動とは異なるため、強度の緊張感がズッシリと肩に掛かってきました。出航後まもなく、横須賀港港湾区域を離れて本船航路に入ります。夕刻になると本船航路はラッシュアワーのような状況で、船の操舵をする司令室の近くで見学すると、艦長は細心の注意を払いつつ指揮を執っていました。東京方面から南下してくる船の行列を観察しつつ、どの船の後ろに入れるかを指示していました。本船航路に入るまでは全神経を集中しつつ、その後、南下の流れの中に入ると乗組員の方々も緊張感から解放されたようで、我々も安堵しました。進行方向右手の猿島を過ぎ、横須賀市の住宅地の背後の山々が夕日を浴びて美しく、日常見慣れたロケーションとは別に海からの景観は感動的でした。観音崎の沖合を南下する頃から夕刻の闇が迫ってきました。夕食は乗務員と同じカレーライスでした。そして、食事の時間から車座で災害対応の意見が交わされ、昭和49年の七夕台風で被災者に対応したという同じ経験から意気投合し、士気が高まり、有意義な夕食会となりました。

午後10時過ぎに甲板に出ると満天の星空がとても美しく、乗組員の話ではこの城ヶ島沖で碇泊し、明朝には沼津市の千本松原の海岸に上陸するとのことでした。私達は船内に戻りベットに入りました。寝台車よりも天井が低いベットでした。こうした環境で長期の航海は海上自衛官にとってさぞかし大変であろうと感じました。

慣れない環境の中で早めに目が覚め甲板に出ると、沼津の海岸は目の前にあり多くの市民が手を振り迎えてくれました。給水車を先頭に上陸し沼津市民の手で朝食の準備が開始されました。

私達の給水訓練は成功裏に終わりましたが、今回の能登半島地震では海岸の隆起で漁船の活動に支障を来しています。また関東大震災では平作川左岸の海岸も隆起しています。こうした地震に伴う地殻構造の変化も考えておかなければならないと思いました。

(元横須賀市助役 井上吉隆)